スウェーデン王立科学アカデミーは10月3日、2006年度のノーベル物理学賞を、米国NASAゴダード宇宙センターのJ.C.マザー博士とカリフォルニア大バークレー校のG.F. スムート教授に授与すると発表した。
宇宙の成り立ちの「ビッグバン」説を、宇宙背景放射の観測から裏付けてノーベル賞の受賞に至ったのは今回が2度目である。その最初は、1978年のノーベル賞受賞となった、米国ベル電話研究所のA.A. ペンジアス、R.W. ウイルソン両博士である[1]。彼らは電波望遠鏡の雑音を調べていて、宇宙背景放射の発見に至ったという。当時のベル研所長が彼らに「そんなくだらない研究はやめておけ」と言って研究を打ち切らせたか、打ち切りにかかっていたというエピソードまでついている。宇宙は137億年前のビッグバンと呼ばれる大爆発で誕生し、初期の、非常に狭い領域に閉じ込められた、きわめて高温・高密度の火の玉状態から現在の大きさに膨張してきた。火の玉宇宙が膨張して冷えていく過程で「物質と放射の分離」の時代があり、物質と放射が独立に振る舞えるようになった。放射は宇宙の膨張とともに冷却をつづけ、2.7 Kの黒体放射として観測される。これが宇宙背景放射と呼ばれるもので[2]、放射は波長1 mm(周波数 300 GHz)近傍にピークを持ち、両側でなだらかに減少するプランクの式で表される。まさにテラヘルツ帯である。ペンジアス・ウイルソン両博士の実験は電波技術を使っていたため、ピークの短波長側の計測には至らなかった。そのため光学的手法を用いて2.7 Kの黒体放射分布全体を測定する実験が、筆者の古くからの知己のカリフォルニア大バークレー校P.L. リチャーズ教授によって行われた。リチャーズ教授は高感度の冷却半導体検出器に関する高度のテクニックとフーリエ分光のテクニックを持っていて、これを利用したのである。そのリチャーズ教授のもとで博士課程の学生として実際に実験に当たったのが、今回の受賞者の一人マザー氏で、観測装置をバルーンで上空へあげて実験を行っていた。バルーン高度は約40kmで、この高さではまだまだ大気中の水蒸気の影響が残っていて明瞭な実験結果は得られなかった。その時の論文は[3]に掲載されている。マザー氏はこの研究で学位を取得しNASAへ就職した。リチャーズ教授の研究室では、次の博士課程の学生ウッデイーが実験を引き継ぎ、装置の改良も行って[4]、彼が過程を終える頃には明瞭な実験結果が得られていた[5]。しかしバルーン高度ではまだまだ水蒸気の影響が残っていた。彼らの活発な動きを見ておられた早川幸男先生(後に名大総長)が、ロケットを使って大気圏外へ出る事を提唱されてリチャーズ教授との共同研究が始まった。ロケット実験では、当時早川研の助教授をしておられた松本敏雄さん(現宇宙航空研究開発機構名誉教授)を筆頭に、同研究室の若い人たちが昼夜をとわず観測装置の開発に取り組んだ。この時筆者も早川先生からお誘いを受け、筆者が知っている限りの遠赤外(現在のテラヘルツ)技術を伝授するということで、そのグループに入ることになった。このロケットによる観測装置はフィルターと各種冷却検出器とを組み合わせたもので[6]、ロケット実験は1985 年9 月から1989 年9 月まで計3回行われた。そして2.7 Kのプランク放射にそった形で6バンドで測定結果が得られた[7,8]。その測定結果は世界の注目を集め論文は100件以上引用された。 このような一連の動きの一方で、マザー博士は精密な宇宙観測を行うべく、NASAのゴダード宇宙センターで衛星を使った壮大な計画を立て、統括科学者として計画を推進していった。この衛星はCOBE (Cosmic Background Explorer)と名づけられ、この探査機には広い波長域 (1 μm〜 1 cm ) の背景放射を全天にわたって高精度で観測するために、高感度の3種類の観測器が積み込まれた。 @波長 100 μm 〜 1 cm の背景放射のスペクトルを測定する「遠赤外絶対強度分光計 (FIRAS: Far-Infrared Absolute Spectrometer)」(図1)、A2点の間のマイクロ波放射の差を、10 万分の1の精度で測定する「マイクロ波差分放射計(DMR : Differential Microwave Radiometer)」(図2)、B 赤外領域を中心に 1 μm〜300μmの絶対放射強度を測定する「拡散赤外放射計 (DIRBE : Diffuse InfraRed Background Experiment) 」の3つの装置である。
@のFIRASは、波長 100 μmから1 cmの間の背景放射のスペクトルを全天の 1000 の測量点で測定する。そして黒体放射からのスペクトルのずれを 1000 分の 1 程度まで測定する。もしそのようなずれがあれば、それは宇宙初期に非常に強力なエネルギー放射があったことを示す事になる。この観測機器の主任研究員がJ.C. マザー博士、AのDMRのデータは、宇宙の非等方的膨張や回転、重力波、大規模な物質流あるいは宇宙ヒモなどのような宇宙構造の「起源」をさぐるのに利用される。その主任研究員がG.F. スムート教授、BのDIRBEは、宇宙初期に第T世代の原始銀河あるいは星のような天体から発せられた拡散赤外線放射を、これまでになかった高い感度で測定するものである。この波長帯の放射スペクトルが分かれば関連する放射機構の特性を知ることが出来る。この観測機器の主任研究員は M.G. ハーザー博士。今回の受賞は@とAの主任研究員がその対象となった[2]。筆者が当時、これら観測装置の中で特に注目していたのは、上空で作動する液体ヘリウム浸けのフーリエ分光装置(図1)である。当時としては地上で常温で作動させるのもそう簡単ではなかった装置を上空で、しかも液体ヘリウム浸けで行うとは!と大変驚いたものである。COBE衛星は1989年11月18日に打ち上げられ12月より観測開始、初期の9分間の観測データで、2.735 ± 0.06 Kの温度が得られた[10]。その観測結果がFAXで送られてきた時、筆者はたまたま相模原の宇宙科学研究所(現宇宙航空研究開発機構)のその現場に居合わせた。2.735 K のプランクの式が実線で描かれ、その実線にぴったり一致する形で実験結果が細かいピッチでプロットされていた(図3)。「まるで学生実験のようだね」と、その場に居合わせた人たちと笑っていたのを思い出す。しかし日を追う毎に、この観測結果がいかに精度の高いものかを我々は思い知らされることになった。
COBEの観測機器により集められたデータは、大規模、高精度の宇宙放射に関する基礎情報をもたらし、ビッグバン説をさらに強力に支持する結果を与えた。
参考文献 (1) A.A. Penzias and R.W. Wilson, “A Measurement of Excess Antenna Temperature at 謝辞 本稿をまとめるにあたって、当時早川研で大学院生としてロケット実験に加 わっておられた、松尾 宏氏(現国立天文台助教授)から有意義な情報を得た。 ここに、お礼を申しあげます。 テラヘルツテクノロジーフォーラム会長
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